りったんせんせーのらぼにっき。

ブログ名、悩み中です。。。

自分のそこはかとない思い出に、母の記録と、友情と、そしてテクノロジによって、再会できたお話。

本エントリーは、今年5月のGW頃、Facebookノートに書いたものを少々修正したものです。

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記憶の中の「丸亀荘」とは…

父は海外航路の船に乗っていた。ので、毎日会えるわけではなく、会いたいときに会えるわけでもなく、、、、船が日本に着岸するときは港まで迎えに行ったし、そんな家族のために国内は乗船可というルールもあった。

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←私の記憶の中では静岡かどこかのはず…きっと…


 私の学校が休みになり、父の船が日本にいると、母とともにいろいろな港に行き、船で過ごし、そして、出国する、もしくは私の学校が始まるときは下船し、船が見えなくなるまで、岸壁で(泣きながら)見送ったものである。

 


「丸亀荘」もそんな中で泊ったところの一つ。船がしばらく停泊するということで、泊ることになったのだろう。その辺の記憶は定かではない。小学校の時なのでうん十年も昔のこと。でも、父がいた、おそらく同じ船の家族とその子どもたちもいて、「丸亀荘」という名前と、楽しかった、という記憶だけがいまだに残っていた。

記憶が記録でよみがえる

今回、家族旅行で丸亀に泊まることにした要因の一つに、この「丸亀荘にもう一度行ってみたい」そんな気持ちが少なからずあった。高松には行く機会はあれども、丸亀に行く機会はついぞなかったからだ。

 
もちろん、最初「丸亀荘」で検索するも、それらしいものがいっこうに出てこない。上記の経緯から考えて「海に近いんだろう」というぐらいでは、さすがにわからなかった。

 
そんな中、全く関係のないところから、検索の神様が降りてきた。
「麻疹」が流行っているという話を聞き、実家の母に一本電話をしたのである。
「ねー?私って麻疹の予防接種受けてる?」

 
母は昔のいろいろなものの中から、「育児日記」を探し出し、予防接種のことやら、私の「落書き」やら、母の思いやらいろいろなものに触れることができた。

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おそらく、左が父、右が母(この頃から画伯の片鱗が…笑

 

そして、その中に「丸亀荘」の記述も見つけたのである。そして、マメな母は住所も記録していた。あ、これで行ける!楽勝!!なんて思ったのもつかの間…

住所がない…

もう、うん十年も前の話。検索しても住所が出てこない…。「丸亀市〇〇町△△数字」というのが母の記録であるが、現在の住所表記では「丸亀市○○町東数字」「丸亀市○○町西数字」「丸亀市○○町南数字」…のように、△△のようないわゆる地名ではなく、東西南北、そして数字で区画された住所になっていたのである。

ふりだしにもどる

 でも、ここまで来たら行きたい。見てみたい。
「あ、Sさん、丸亀出身のはず…」
 脊髄反射的にメッセンジャーで連絡を取ってしまっていた。
(忙しいのにごめん、そして本当にありがとう)

 
「○○町出身の友達いるから聞いてみるわー」とありがたい一言。
しかし、やはりかなり昔の話で、なかなかに難しそう…。
ここまでくれば、現地に行って、市役所か交番に聞いてみるか…と思いつつ…。
Sさんも日頃お忙しいのに、メッセンジャーでいろいろと付き合っていただいて本当にありがたい。

 
「△△」というもともとの地名から、「この辺当たったらどうかなー」というアドバイスも。そして、これが後に効いてくるのであった。

子どもだから覚えていなかったこと

捜索が停滞気味で、そんな様子を見た母がポツリと言った。
「【企業名】関係じゃないかな?」
え?そうやったんや!!??と目からうろこ。

 
子どものころ、父に会いに行ったというだけで、そういえば「何のために」というか、なぜ「丸亀」なのか、なんてもちろん意識もしていなかった。
そうとなればかなり前進。

【企業名】と「丸亀市○○町」で検索をかけると…あった!いや、ありすぎた!!なんでこんなにあるねん!!!(笑)

母の一言+友人のアドバイス、そして…

…とはいえ、友人の時間も割き、自分的にもここまで来たら引き下がれない。
落ち着いて、元に戻って「○○町」にあるのは確か、海に(たぶん)近い、そして、友人のアドバイスを思い出し、「あたり」をつけた。
そして、あとはその住所からストリートビューをみまくって…

テクノロジーに感謝、友情に感謝。

あ、あったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!
仕事で大きな声を出すことはあっても、居酒屋などで「すみませーん」と声を張り上げることはあっても、自分だけの時にそんな大きな声を出すなんて、、、、記憶がないレベル。

 
とある企業の社員寮の入り口付近に、ストリートビュー車が通った道路から少し奥まったところに、懐かしい、見覚えのある「石碑」がある。録画したときに,対向車が通っていれば隠れてしまっていたかもしれない、人が通っていればモザイクがかかっていたかもしれない、そんな奥にひそかに見つけた「丸亀荘」の三文字

 
両親を呼び、Sさんにはストリートビューの写真を送り…、新しい住所を記録し…。
Sさんからも「やっぱりそこにあったか」という、さすが「土地勘」というのはすごいものである。改めてご協力感謝。

そして、ご対面。

何十年もずっと思っていたわけではないけれども、子どものころ楽しかったという記憶が残り続けていた「丸亀荘」。
写真の通り、石に掘られた「丸亀荘」は健在。
この「石碑」が珍しかったのか、このイメージだけはどこかに残っていた。
きっとそのあたりで遊んでいたのか、写真を撮ったのか。
さすがに写真までは実家でもみあたらなかったが…。

 
残念ながら、建物は、もう使われていない様子…(写真奥の建物は、同じ会社の社員寮で、こちらは使われているようです)
よく考えれば、その企業さんも健在でよかった。
会社が倒産していたり、規模縮小のため、建物ごと売りに出されていたりとしても全く不思議ではない年月が経っている。

 
他人からすれば、いや、両親からしても「だから何?」的な話なんだけれども、自分のそこはかとない思い出に、母の記録と、友情と、そしてテクノロジによって、再会することができた。
それが、自分の中でとても嬉しかった。
小さい頃の自分が、父に会えてうれしい、そんな気持ちの子どもが、まだ、そこにいるような気がした。