りったんせんせーのらぼにっき。

ブログ名、悩み中です。。。

明治は写真、大正は映画、昭和はテレビ、平成はネット、さて令和は…

f:id:riz-nishibata:20191214021812j:plain

このエントリーは、子供とネット×平成の振り返り Advent Calendar 2019

の9日目です。

 

さて、このエントリーのタイトルにもあるとおり、それぞれの時代にはそれぞれを代表するメディアがあります。どの時代においても、人々は新しいメディアに夢中になり、問題がおこり、んじゃ、対応しなきゃ!子どもたち守らなきゃ!という「お約束」がありました。

 
映画の場合:
大正時代、フランス版清水次郎長のような「怪盗ジゴマ」がはやり、人々は「ジゴマ」よろしく、お金のある家に盗みに入り、そのお金をばらまくという「ジゴマ騒動」が起こりました。

 
テレビの場合:
第二次世界大戦後、高度成長期を経て、テレビは各家庭に普及していきました。あまりにも人々が夢中になったため、「一億総〇〇化」(今は不適切な言葉ですのでふせさせていただきます)と言われました。街角にテレビがあったり、テレビのあるおうちに人が集まったりと、今までのコミュニティとは違う、新しいコミュニティが形成されました。今思えば、つづくネット世界のコミュニティの「前触れ」だったのかもしれません。

 

しかし、映画の場合も、テレビの場合も、このままではだめだ!学校教育でも取り上げるべきだ!という考えのもと、「放送教育」「視聴覚教育」などが生まれ、今に至ります。

 

さて、「平成」を考えると、パソコン、インターネット、スマートフォンSNS…とまるで、最近の台風のように、大きなメディアが次々と登場しました。そして、残念なことに、「出会い系」「ネット依存」「デジタルデバイド」「SNSいじめ」「〇〇ッター」などの問題も矢継ぎ早に起こっています。

 

そして、もちろん学校現場でもこの問題に取り組まねば、というところで、「情報モラル教育」「情報活用能力」が生まれましたが、残念ながら即効薬にはなりにくいのかもしれません。その背景として、問題が起こった時の影響範囲が学校を超えていたり、家庭の方針が学校と違っていたり、どんどん新しいことが起こって、対処法がついていかなかったり、教師自身も習っていない、わからないことが多かったり、小学校では特に対応する教科がなかったりなど、現在進行形でさまざまな実践が蓄積され、先生方は非常に苦慮されています。

 

とはいえ、この「子供とネットを考える会」のように、学校と家庭以外の人たちが教育に関わることができるようになったのも、時代の要請なのか、ネットの恩恵なのか、平成時代に普及したことの一つと言えるでしょう。

 

最後に「令和」です。始まったばかりの「令和」ですが、AIとの付き合い方に右往左往する時代になるのでしょう。はじまってまだ1年もたっていませんが、すでに、過学習、誤認識、シンギュラリティ、知財、倫理などの課題が一部顕在化しています。非常に近い将来、AI技術が普及するとともに、これらのいくつかが大きな社会問題となることは想像に難くありません。
 
また、起こってしまった社会問題を解決するようなAIも生まれてくるでしょう。AIもこれからは深く教育に関わることになるのも見えています。

 

行きつく先はユートピアなのか、ディストピアなのか、それぞれの時代の人もそんなことを思いながら、その時代を生きていたのではないでしょうか。ただ、さまざまなものがデジタル化されてきている現在、この二つそんなに離れているものではなく、「紙一重」いや「bitひとつ」しか違わないのかもしれません。